【interview】音楽家 近藤薫 ③ 「自分が最終的に大きなステージで歌うことは、今もあきらめてはいないです。」

SPONSORLINK

はじめに

音楽で生きていく。」インタビュー、音楽家、近藤薫の第3回目(全4回中)

1回目の記事はこちら!

【Interview】「音楽で生きていく。」音楽家 近藤薫 ①(2019.3.2)

2019年2月28日

2回目の記事はこちら!

【Interview】音楽家 近藤薫 ②「人のために曲を作ることは、ひょっとしたら自分には向いているのかも知れない」とそのときに思いました。

2019年3月3日

音楽で生きていく。第3回

――今でこそ、みずから会社を立ち上げていますが、フリーで活動している期間も長かったのでしょうか?

近藤薫 フリーとして活動を始めてから4-5年経った頃かな、今のレーベルを立ち上げたのは。それからすでに7-8年は経っています。

――早い時期には会社組織にしていたんですね。

近藤薫 法人化は早くにしましたね。ただ、今もそうですけど、会社という意識ではなく、基本は個人事業主の感覚。名義を会社にはしているけど…という感じですね。

――それも、必要だからこそ会社を立ち上げたわけですよね。

近藤薫 なんか古くさい考えですけど、信用問題としての面は大きかったなと思います。やはり、大きな企業さんの制作をやらせてもらうときに個人名義だと…というのもありました。

あと、通販ショップを立ち上げても、個人口座に振り込んでくださいって言いにくいじゃないですか。結果、いろんなことが重なり、会社名義にしたほうが良いなと思って、そうしましたね。

――今でこそ所属アーティストが何組もいますが、当時は、あくまでも個人事業の延長として始めたわけですよね。

近藤薫 最初から「誰それをプロデュースするぞ」「新人の音源をリリースさせるぞ」という意識で会社を作ったわけではなく、いかに自分が現役のミュージシャンとして活動しやすい環境を作るかにこだわってのことでした。

もちろん現役という言葉は、今も意識していることです。

――当時も今も、ソロアーティストとして指針や目標を持って進んでいるわけですよね。

近藤薫 アーティストとしては、何時かおっきなところでやりたいと思っていましたし、今も思っています。

ただ、その方法論として、今の僕はライブ活動を積み重ね、動員を増やしてゆくというやり方ではなく、いろんな仕事を通して自分のアーティスト力をトータル的に高めてゆく。そのやり方を選んだだけのこと。

自分が最終的に大きなステージで歌うことは、今もあきらめてはいないです。

すべては人との繋がりですね。ただの繋がりですけど、大きな繋がりですからね。

delaとの出会い

――その姿勢は変わらず貫いていることなんですね。今は、いろんな方々のプロデュース業やレーベル運営も行っています。そのきっかけも教えてください。

近藤薫 最初は本当に個人の延長で立ち上げた法人会社で、そこで個人の仕事を。要は個人事務所として運営していたんですけど。名古屋でdelaというアイドルグループが活動をしていまして。僕が愛知県出身で、たまたま知り合いの繋がりから「delaの曲を作らないか」という話をいただきました。

delaとは、最初に1曲提供したことから始まり、その縁から「じゃあ、次の曲もお願いします」という形で何曲も手がけさせていただけるようになりました。

その関係を築いていく中、delaの音源を作る話になったとき、「音源の流通面など、何かと東京にベースがあったほうがリリース展開もしやすいので、音源の流通をお願いできますか」という話をいただきました。

そこから、「じゃあ、僕もレーベル機能のことをいろいろと勉強をしてやってみます」ということでレーベル業は始まったことなんです。



しかも打ち合わせを重ねてゆく中、最初は流通のみをという話から、「じゃあ、デザインもやります」「CD盤のプレスまで引き受けます」と話が膨らんだ結果、レーベルとしての機能も持つようになった形でした。

――まわりから求められ、結果的に、それが形として膨らんだわけですね。

近藤薫 そうです。最初は「楽曲を1曲作りましょう」という話から始まり、「じゃあこれも」「あれもやっちゃいましょう」という風に話が進んだ形でしたね。

――近藤さん自身、当時はプロデューサーをやろうという意識は…。

近藤薫 ぜんぜんなかったです。今も、そこまで強くプロデュース業を押し出そうと思っているわけではなく。あくまでも、1曲ごとの作曲の付き合いから始まり、結果的にプロデュース業まで膨らむことが多いのが現状です。

――delaに関しては、トータルプロデュースという立場なのでしょうか?

近藤薫 サウンドプロデュースという立場で今はやらせてもらっています。あとは、レーベルとして。いわゆるレコード会社としてのポジションですよね。

僕自身がdelaでの経験を通し、「流通はこうやってやるんだ」「プレスはこうなんだ」「CDって、 世の中へこうやって流していくんだ」という過程を知れば、delaを通してレーベル業務を重ねていく中、何時しか他の方々も「CDを作れるし、流通もやっているんですね」という見方で僕の会社を見始め、いろいろとお願いしてくるようになった。そんな形での広がり方なんです。

――人と人との繋がりで広がったことなんですね。

近藤薫 本当にその通りです。すべては人との繋がりですね。ただの繋がりですけど、大きな繋がりですからね。

自分から売りこんだわけじゃなく、いろんな方々からさまざまな仕事の提案をいただいては、自分でも挑戦していった形でした。

拠点を静岡へ

――今、静岡にも拠点を置いているのも、人との繋がりからなのでしょうか。

近藤薫 そうです。静岡でのいろんな業務も、たった1本の番組から始まったことでした。きっかけは、静岡のケーブルTV内で放送していたカラオケ番組の審査員という仕事をいただき、頻繁に静岡へ行くようになったことから。

審査員で入っていたのが、「トコカラグランプリ」と言う、いわゆる「のど自慢」のような番組。毎月チャンピオンを決めれば、1年間で誕生した12人のチャンピオンの中からグランドチャンピオンを決め、優勝者へCDデビューを与えるという企画内容で番組は作られていました。

その番組でグランドチャンピオンの称号を手にしたのが、太田克樹くん。

そこから、彼のデビュー曲のみならずリリースまで手がけたことが、静岡での仕事をより深めるきっかけになりました。

――そこから静岡での仕事が広がりだしたんですね。

近藤薫 そうなんです。太田克樹くんの活動に際し、とある企画の中、バックにダンサーを加えようということで選ばれたのが、こちらも今、僕が音楽制作、プロデュースを手がけている、静岡を拠点に活動中のアイドルグループのROSARIO+CROSS。

そのROSARIO+CROSSにも強い可能性を抱いたことや、関係者の方々も「本格的にアイドルグループとして活動をしていきたい」という話をしていたことから、一緒に手を組みスタートさせたことが今に至っています。

――気がついたら静岡にもう一つのベースを置くまで形が広がったのも面白いですね。

近藤薫 今は静岡に事務所やスタジオを作ってしまったほど。まさかこんな風になるとは、僕自身まったく思っていなかったこと。

――最初は、縁もゆかりもない土地だったわけですよね。

近藤薫 ホントそうなんですよ。出身が愛知県なので、浜松辺りまでは行ったことはあったけど。基本、静岡県と言えば新幹線で通りすぎるだけの印象。それが今や、週の半分くらいは静岡に行ってますからね。

――今、プロデュースしている櫻井里花さんも、声優の専門学校へ歌を指導する講師として通いながら教えていたことがきっかけなんですよね。

近藤薫 そうです。アニソンの仕事もやらせて頂いていた関係で、声優プロダクションの音楽プロデュースもやらせてもらっているのですが、そこで知り合った子ですね、櫻井里花は。

どの仕事も、いろんな活動をしてゆく中で繋がりを得ては、それが膨らんだこと。目先の利益追求のビジネスだけを求めていたら繋がらなかった出会いもいろいろあったなと、今、振り返ると感じますからね。

――審査員や学校の歌の講師など多方面からビジネスに広がったということは、まわりの方々が近藤さんへミュージシャンやソングライターのみならず、いろんな可能性を感じ、それで仕事を依頼したということですよね。

近藤薫 そこは、本当にありがたい話で。自分から売り込んだわけじゃなく、いろんな方々からさまざまな仕事の提案をいただいては、自分でも挑戦した形でした。

――本人としては、話があるならやってみようという感覚なのでしょうか。

近藤薫 「何事も前向きにお話を聞いてみたい」気持ちはあります。でも、今は仕事を選んでいる時代ではないですからね。とくにベテランのミュージシャンほど仕事を続けていくことが厳しくなっていますから。

>>第4回につづく

【interview】音楽家 近藤薫 ④「今は、一人で何役もやらないとなかなか食べてはいけない時代。餅は餅屋でいたいですけど、なかなかそうはいかないです。」

2019年3月10日

SPONSORLINK