【Interview】「音楽で生きていく。」音楽家 近藤薫 ①(2019.3.2)

SPONSORLINK

はじめに

「もはや音楽は斜陽産業だ」「CDが売れないように、ビジネスとしての魅力に欠けた市場に成り果てた」など、流行/トレンドという言葉の洋服を着たがる人たちほど、現在の音楽産業に向け、知ったかぶりで辛辣な言葉を投げかける。でも、本当に音楽は廃れているのか…。答えは、「NO」だ。

確かに、一時期と比べたら全体のマーケットは縮小している。でも、昔も今も、音楽を心の拠り所にしている人たちが生まれることはあれ、音楽を人生の中から消し去る人は一人としていない。

誰もが日々の生活の中でかならず音楽に触れ、少なからず心を揺さぶられている。もちろん、その音楽を作り出す人たちや発信してゆく人たちも、世代が途切れることなく現れては、音楽という世界の中で貘のように夢をむさぼり喰っている。

音楽で生きていく。

ここでは、「音楽と生きていく」を題材に、音楽と共に人生を歩み続けている人の生き方にスポットを当てたい。

音楽家 近藤薫

第一回目は、音楽情報サイト「6notes」の編集長であり、miuzic Entertainmentの代表として。何より、ミュージシャン/ソングライター/プロデューサーとして現役で活動を続けている近藤薫氏にスポットを当てた。

1999年6月2日にスィートショップのメンバーとしてシングル『雨を見てたよ』を発売し、ポリドール(現ユニバーサル)よりデビュー。

今年の6月2日で、デビューから丸々20年を迎えようとしている。彼がこの20年間、どうやって音楽業界をサバイブし、自分なりの「音楽と生きていく」道筋を描き続けてきたのか、ここに紹介したい。

Interview①

「結果を出せないと(扱いが)こうなるんだな」という場面は、実際に僕ら自身が体験してきたことでした。

――近藤さんは、20年前の6月2日にスィートショップのメンバーとしてシングル『雨を見てたよ』を発売、メジャーデビューを飾りました。当時は、希望に満ちあふれたスタートでした?

近藤薫 僕らの場合、アマチュアから何年もデビューするぞと頑張っていたわけじゃなく、早い時期に所属事務所も決まれば、その後にメジャーデビューもと割とポンポン決まった形で進んでいました。とはいえ、事務所への所属が決まり、実際にデビューするまでは2年ほどの期間を要しましたけどね。

今でこそ、実際にデビュー日を迎えるまでの準備期間も含め、それくらいの日数を必要とする理由もわかりますけど。まだ世間知らずだったあの頃は、作った曲を新鮮なうちに聞いてもらいたい想いから、「何時、デビュー日が決まるんだろう」と焦る気持ちも少なからずありました。

――デビューしたのが1999年6月2日。でもスィートショップは2003年に解散。メジャーでの活動も、バンドの解散と共に終わる形になりました。

近藤薫 最初の2年間はポリドール(現ユニバーサル)で。その後、トライエムに移籍をして二度目のメジャーでの活動をと続けてきましたが、バンドの解散と共に、メジャーでの活動も幕を閉じました。

――デビュー初期の頃と、解散を間近に控えた頃の楽曲を聞き比べると、歌詞の表現面に変化が見えてきます。メジャーで活動をしていた日々の中、近藤さん自身の気持ちにもいろんな変化が現れては、それを都度の楽曲に投影していた形だったのでしょうか?

近藤薫 最初にメジャーデビューをした当時は割と華やかなスタートを切れたように、「あっ、夢に見た感じに近い」という気持ちはあったと思います。ただ、結果が出ないと徐々に様子が変わって行くじゃないですか。

次第に制作コストも使ってもらえなくなれば、「結果を出せないと(扱いが)こうなるんだな」という場面は、実際に僕ら自身いろいろ体験してきたことでした。

――スィートショップとして最期のシングルとなった『WALL』の頃には、自分たちが生きてゆく中での葛藤などを赤裸々に歌っていましたよね。

近藤薫 楽曲に込めたメッセージ性は変わりましたね。活動が後半時期になるほど、スィートショップにはリアルな感情を投影した曲たちが増えていってたと思います。

――当時は、そう表現したい自分たちがいたのでしょうか。それとも、前へ進むうえでその変化が必要だったのか。とても気になります。

近藤薫 デビュー当時のスィートショップは…というか、僕自身のスタイルが、作品の持つ世界観を綺麗に作り上げることにありました。

だけど、それで結果を出せず。当時の風潮も加味されてか、「自分自身をさらけ出さないことにはアーティストとして認めてもらえないのではないか」と次第に感じるようになり、何時しか表現方法も、描写するよりもリアルな自分の気持ちをぶつける形へ変化していました。

――初期のスィートショップのほうが、今の近藤さん自身の音楽性や、作家として生み出す世界観へ近いものがあったわけですね。

近藤薫 今思うと、デビュー当時から職業作家的な感覚が無意識の中にあったのかなぁと思って。実際にスィートショップ活動前半時期頃は、自分の楽曲を俯瞰しながら作っていましたからね。

逆に、「自分にしか歌えないメッセージを出さなきゃいけない」と思い始めたのが、スィートショップ後期の頃でした。。



僕らのデビューした時期頃から「2年で答えを出さないとね」という風潮はあったなと思います。

――メジャーのレコード会社を一度移籍。ということは、当時、シビアな現実も突きつけられたわけですよね。

近藤薫 そうです。デビュー当時の僕らをプロデュースしてくださったのが、笹路正徳さん。

笹路さんには、当時のレコード会社の先輩バンドであったスピッツさんなどを例題に、「今、売れている人たちだって、ブレイクするまでには3-4年かかっているし、中には数年経ってヒットした人たちだっているんだよ」と言われていたように、僕らをじっくり育てあげたい気持ちを感じていました。

でも、その頃には、結果が出るまでじっくり育ててゆく環境がメジャーでは難しくなっていた。実際に僕らも、「最初に取り決めた2年の契約期間の中で結果を出せ」という環境の中にいました。

その現実をわかったうえで、僕ら自身「2年間で答えを出すのは難しいだろうな」とも正直思っていたことでしたからね。

――2000年代という時代は、早めに結果を出すか、出さないかという時期でもあったわけですね。

近藤薫 今の時代ほど急いで結果を求められていなかったとはいえ、僕らのデビューした時期頃から「2年で答えを出さないとね」という風潮はあったと思います。

――その現実を知りながらも、スィートショップは、あえてじっくり自分たちの音楽を育ててゆく姿勢を持って活動していたのでしょうか?それとも、結果を出さなきゃと焦りを覚えていました?

近藤薫 僕らの場合、身近で応援してくれるスタッフや関係者の方々が多かったことから、その人たちを裏切れない気持ちがあったように、「自分らのペースで」というよりも、「仕事として結果を出さなきゃ」という想いから、とにかく焦っていたのは覚えています。



この3人で活動できないのなら潔くバンドは辞めたほうがいいという想いから、解散を決めました。

――その頃から、職業作家としての意識も持っていたのでしょうか?

近藤薫 プロの作家になる云々ではなく、仕事で音楽を作るという意識は、意外と早い時期から考えていました。

――アーティストとしてスタートを切ると、職業作家意識を持つことは難しくないですか?

近藤薫 自分の思うままの意識で創作してゆく姿勢は確かに格好いいし、その意識を持って活動しているアーティストもあの頃は多かったと思います。

実際にスィートショップも、僕以外の2人は、いわゆるアーティスト気質を持って活動をしていたように、そういうところでの考え方が僕と2人の間ではちょっと違っていたところはありました。

ただ、スィートショップは僕がメインのソングライターとして活動していたこともあって、僕自身がある程度方向性を牽引していった面もあったとは思います。

――結果的にスィートショップは、メジャーデビューから4年ほどで解散という結末を迎えました。

近藤薫 いわゆるレコード会社との契約が切れての解散ではなく、先にスィートショップの解散が決まったので、トライエムとの契約も切れたんですよ。

あの当時「えっ、ちょっと待ってよ」という声をいただいていたように、トライエムさん側は、少し時間をかけてでもスィートショップを育てようという姿勢でいました。なのに解散という形を取ったことから、メジャーでの契約も終了と相成ったわけです。

――メジャーで活動を続けられる環境がありながら、なぜ辞めてしまったのでしょうか。

近藤薫 よくある、バンドメンバーの中での想いの違いという形ですよ。けっして、特別な何かがあったわけじゃない。先の見えない将来に不安を持つメンバーが出てくるのも仕方のないこと。

とくにスィートショップは、デビューした時点でいきなりテレビのタイアップが決まったり、MV撮影を海外で行ったりなど華やかな形で始まった。にも関わらず、結果が伴わなかったことで次第に環境が変わってゆく経験をし続けてきた。だから、余計にそう感じたのかも知れないですね。

――誰もが少なからず理想と現実の違いは感じるもの。近藤薫さん自身は、解散の理由をどう受け止めているのでしょうか。

近藤薫 スィートショップというバンドは、近藤薫/今井晶規/金森浩勝の3人でないと活動をする意味がないという意識がありました。解散のきっかけは、ドラムの金森くんが「音楽活動を辞める」と言い出したことから。

音楽的なイニシアチブを取っていたのは僕と今井君だったとはいえ、お互いに2人だけでスィートショップを続けていくのも、新たにメンバーを加える形も違うように、「この3人で活動できないのならバンドは辞めたほうがいい」という想いだったことから、潔く解散を決めました。

>>第二回へつづく

【Interview】音楽家 近藤薫 ②「人のために曲を作ることは、ひょっとしたら自分には向いているのかも知れない」とそのときに思いました。

2019.03.03

記事:長澤智典

Information

近藤薫 デビュー 20周年
Anniversary Special!!
「HOME MADE2019」

昼・夜公演 開催決定!!

  • 日時:2019年6月2日
  • 詳細はこちら

SPONSORLINK