こんにちは、音楽家の近藤薫(@kondo_kaoru)です。
デビューして19年。もともと音楽業界の事なんて右も左も分からなかったわけだけど、心あるスタッフや仲間、ファンの皆さんのお陰で何とかここまで来れた。
人間誰しもそうだと思うけど、環境に慣れてしまうね。井上陽水さんの歌にもあるけど、人の欲望には限りがない。
夢見てた頃
最初は自分の曲、歌声がCDになるなんて夢のまた夢だった。
いつの日か、それが叶った。もちろん叶わなかった人より、リスクも背負ったし努力はしたけどね。
1st Singleを出したら、2nd Singleが出せることを自然と期待した。そしてそれを出した後は、数か月後に3rd Singleが出せると疑わなくなった。
レコーディングも1日40万円もする銀座の老舗スタジオで録るのに慣れていった。そんな高いスタジオで、アコギ一本レコーディングするのに丸一日かけたこともあった。「こだわり」という名の無駄遣いだ。
ライブもそうだ。お客さんも増えて、いつしかライブハウスだけどワンマンライブが出来るようになった。遠征も増えた。憧れの浜田省吾さんの北海道野外フェスでオープニングアクトまでやらせてもらった。
会場、スケジュールをスタッフが抑えてくれて、能力もそれ程ない僕らに驚くようなお膳立てをしてくれた。
次はあそこでやりたい!あの人たちと共演したい!技術も実績も平行線だったくせに、夢と理想だけ一丁前に進化し続けていった。
当たり前の環境と思ってしまっていた。
若気の至りと一言で言ってしまえば、それはそれで成立してしまうのかもしれない。
1999年にデビューして、3、4年ほど活動したバンドは解散した。当然の結果だ。
きっと事務所的にもレコード会社としてもビジネスとしては大失敗だっただろう。
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その後
その後、フリーになって、ソロ活動を始める。スクールを立ち上げたり、レーベル業を動かしたり、起業した。
アルバイトニュースも買って、隙間で出来るバイトを探してみたりもした。
40万のスタジオ代をレコード会社に出させていたくせに、自分で起業する際は、会社設立等にかかる数百円の印紙代すらケチるような状況だった。
その後何とかやっています。
楽な日々じゃないけど、ひとつひとつの場面を噛みしめてお仕事させてもらっています。
今だから
今だから思うけど、バンドでデビューさせてもらった時、成功しなくて良かったのかなと思ったりしている。応援してくれたファンの皆さんやスタッフの方たちには申し訳ないけど。。
今、制作プロデュースしている太田克樹くんが歌う「思い出の交差点」という静岡のご当地ソングのラッピングバスが静岡市内を走り出しました。同曲を歌うROSARIO+CROSS(ロザリオクロス)も載せて頂いております。
太田克樹、バスになりました。
思い出の交差点ラッピングバス運行開始で〜す👏😁
静岡市内を走ってますので見つけてくれ! pic.twitter.com/EHtmpyTx2X— 太田克樹 (@katsukiota) 2018年7月3日
これ、本当にすごい事です。スポンサーのTOKAIグループ様には感謝してますという言葉ではおさまらない。もちろん、僕の為にしてくれてるわけではないけど、このような状況を体感させてもらってることには違いないから。
「思い出の交差点」視聴
まとめ
諦めずに頑張れば、環境は良くなっていくはずです。夢を膨らませていくことも良いことだ。もちろん、現状維持なんてつまらない。ただ、今いる環境は自分だけで作れたわけじゃない。
これ、分かってそうで分かってない子が多いと思うのです。本当の意味は、一度失敗しないと絶対分からないんだけどね。
19年前の自分にもし会えたら言ってやりたい!土下座させて伝えたい!
この環境は当たり前にそこにあるわけじゃないよって。